① 行為 → 関係
これまでの「食べる」は、私(食べる人)と料理(食べられるもの)の一方向の行為でした。
でも、自分で育てた野菜を口に入れた瞬間、そこに関係が生まれました。
天気、土、種をくれた人、アドバイスをくれた人、運んだ水、ほどいた土――
無数の手と出来事が皿の上で合流し、私のからだの一部になる。
“食べる”は私と人をつなぐ接点なんだ、と。
② 味覚 → 記憶
味はおいしい/まずいで終わらず、時間の層を連れてきます。
種をまいた朝の湿気、芽を見つけた日の高揚、雨の日の心配、
ホースの水音、鍋から立つ湯気――
ひと口で、畑の数週間が口の中に再生されました。
味覚は五感の中でいちばん記憶を呼び戻す装置かもしれません。
③ 消費 → 受け取り
「消費する」という言葉がしっくりこなくなりました。
畑で育った命を受け取る、そして自分の活動へ引き継ぐ。
“いただきます”は、命のバトンパスの合図なんだと腹の底で理解しました。
④ 満腹 → 変換
食べる目的は満腹だけじゃない。
光と水と土が作った糖や繊維やミネラルが、私の血や骨や思考に変換される。
だから食べ方は生き方に直結する。
乱暴に食べれば乱暴に生き、丁寧に食べれば丁寧に生きる。
皿の前の所作は、毎日の生き方の稽古だと思いました。
⑤ 自由 → 責任
自分で作った分、無駄にしない責任が自然と生まれます。
葉も使う、皮もだしにする、次の土へ戻す。
選択の自由はあるけれど、その自由は畑と私を持続させる方向へ導かれていく。
⑥ 個人 → 共同体
お裾分けして「美味しかった」の一言をもらうと、
食べる行為は私一人の内側から外へ広がる輪になります。
作る人・食べる人・土地・季節が、食卓で同じ物語を共有する。
食べるとは、静かな共同体づくりでもあるのだ、と。
🌱おわりに
“食べる”は終点ではなく循環の途中。
畑→台所→食卓→からだ→畑へ戻るコンポストまで、円を描く。
今日の一皿は、その円の中で私が担った小さな役割の証明でした。
明日もまた、丁寧にバトンを受け取り、丁寧に渡したい。


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